【ブラタモリ】高級住宅街「成城」はどうできた?タモリの探訪で見えた意外な歴史と地形の秘密
街の歴史や地形、地質といったマニアックな視点から、その土地の成り立ちを紐解いていくNHK総合の人気番組『ブラタモリ』。2026年5月9日の放送回では、「東京・成城/憧れの住宅街はどうできた? 意外な始まりに迫る!」をテーマに、日本屈指の高級住宅街として知られる成城学園前エリアをタモリさんが探訪しました。
多くの著名人や文化人が居を構え、美しい並木道と瀟洒な邸宅が立ち並ぶ成城。しかし、この街が最初から「高級住宅街」を目指して作られたわけではないことをご存知でしょうか?番組では、古地図や標高図を頼りに、成城という街がいかにして形成されたのか、その意外なルーツと地形がもたらした奇跡に迫りました。
成城の始まりは「学校の移転」だった!?
タモリさんと佐藤茉那アナウンサーが最初に訪れたのは、小田急線の成城学園前駅。この駅名にもなっている「成城学園」こそが、この街の成り立ちの最大の鍵を握っています。
大正時代、もともと新宿区(牛込)にあった成城学校は、より広大で自然豊かな教育環境を求めて郊外への移転を計画しました。そこで白羽の矢が立ったのが、当時は見渡す限りの雑木林や畑だった現在の成城エリア(当時の北多摩郡砧村)です。番組内で紹介された当時の写真には、現在のおしゃれな街並みからは想像もつかないような、のどかな農村風景が広がっていました。
学園と鉄道が一体となった「理想の街づくり」
成城学園の創設者である澤柳政太郎らは、単に学校を移転させるだけでなく、「生徒たちのための理想的な学園都市」を創ることを目指しました。そこで彼らは、学校の周囲の土地を広く買い取り、道路を碁盤の目状に整備して、住宅地として分譲販売するという画期的な手法をとったのです。
さらに、当時建設中だった小田急電鉄に駅の開設を掛け合い、土地を無償で提供する代わりに「成城学園前駅」を作ってもらうことに成功します。タモリさんはこの大胆な計画について、「学校が自分たちで駅を作り、街を作ってしまった。まさに壮大なベンチャー事業ですね」と感心しきりでした。この分譲地には、新しい教育理念に賛同する文化人や知識層が次々と移り住み、それが現在の「知的でハイソサエティな成城」のブランドイメージの礎となったのです。
国分寺崖線がもたらした「高台の奇跡」
そして『ブラタモリ』といえば欠かせないのが「地形」の視点です。成城の街を歩くと、急な坂道が多いことに気付きます。これは成城が「国分寺崖線(こくぶんじがいせん)」と呼ばれる、多摩川が数万年かけて削り出した巨大な河岸段丘の「高台(エッジ)」に位置しているためです。
番組では、この高台ならではの水はけの良さや、富士山まで見渡せる風通しの良い景観が、結果的に「高級住宅街としての価値」を決定づけたことを解説しました。また、崖の下から湧き出る豊かな湧水(成城三丁目緑地など)が、街に豊かな自然の潤いを与えていることも紹介され、タモリさんも「地形と人間の営みが見事に一致した奇跡の街だね」と納得の表情を浮かべていました。
まとめ:歴史を知ると街歩きが楽しくなる
今回の『ブラタモリ』は、単なる「高級住宅街の紹介」にとどまらず、その背後にある人々の情熱と、何万年もかけて作られた地形のドラマを教えてくれる、非常に奥深い内容でした。
今度、成城学園前の美しい銀杏並木を歩く機会があれば、ぜひ「ここは昔、学校を作るために切り拓かれた雑木林だったんだな」「この急な坂道は多摩川が削った跡なんだな」と想像してみてください。きっと、いつもの街並みが全く違った景色に見えてくるはずです。


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